南池田小学校が明治6年にできたころは、まだ学校の名前が納花小学校といい、福寿寺にあったことから始まって、明治22年に南池田尋常小学校となり今の場所に落ち着いたということなどを話した後、明治40年クスノキが卒業記念に植えられた頃の学校のようすをお話しました。
明治40年ごろは、まだ子どもたちはかすりの着物を着て、わらぞうりを履いて学校に来ていました。
校舎はもちろん木造で、今の裏門側の道に正門がありました。
今の正門のほうはバスの道もなくて、田んぼだったようです。
当時の校舎図を見ると運動場らしいものはなくて、職員室のある校舎の向かいに教室のある2階建ての校舎があり、中庭のようなところにくすのきは植えられたようです。
という話の中で、「運動会は、稲刈りが終わった田んぼで行われていたそうです」というと、みんなびっくりしていました。
「写真があるので、校長室に見に来てもいいですよ」というと、休み時間に「お話の続きを聞かせてください」と何人かの人が来てくれました。
こうしたことをきっかけに、ふるさと南池田に興味をもってくれるようになったら、嬉しいなぁと思いました。
これが田んぼで運動会をしている写真です。
明治の終わりから大正の初めの頃の写真だそうです。